スワイプして
次の記事を見る

SCROLL

時代、場所、人…偶然から生まれた仕事がHAGISOの10年を作ってきた

木造アパート「萩荘」から生まれ変わり、2013年3月に営業を開始した最小文化施設HAGISOは2023年で10周年を迎えます。それを記念した本企画では、ホストであるHAGISOの中核メンバーが縁の深い方々をトークゲストにお迎えし、HAGISOに対して感じていることや協業する中で考えたことなどを対談していただきます。初回となる今回は、株式会社HAGISO代表の宮崎をホストに、新ロゴのデザイナーであり萩荘時代には住人でもあった田中祐亮さんをゲストにお迎えし、社名変更とロゴマーク刷新の経緯や、田中さんが始めた飲食店についてなど、さまざまなテーマでお話ししていただきました。

グラフィックデザイナー・田中祐亮(ROWBOAT)
株式会社HAGISO代表・宮崎晃吉

社名変更と新ロゴに込めた思い

宮崎:元々萩荘という木造アパートを学生時代に借りていたことからHAGISOの活動は始まっていて、僕は2006年から住んだんですけど、田中くんはその前の2004年から住んでいた。最初の住人の5人うちの1人だったかな? 僕たちの関係はそこから始まった。そして共同アパートの萩荘は、紆余曲折を経て最小文化施設のHAGISOとして生まれ変わり、田中くんには最初のロゴをデザインしてもらったよね。そのときから僕らも全然予測していなかったことがたくさん起きて。そして今年で10周年という節目を迎えるにあたってHAGISOを再定義する時期にあると思い、「HAGI STUDIO」だった社名を、萩荘時代から引き継いだものを大切にしながら初心に帰るという思いを込めて「HAGISO」に変えることにしました。それで、会社のロゴも新たにしようと田中くんにお願いしました。

田中:最小文化施設のロゴのときは僕一人ではなくて、吉川くんっていう僕の予備校の同級生で萩荘にもよく出入りしていたグラフィックデザイナーの友人がいて、宮崎くんが僕たち二人に話を持ちかけてくれた。その二人で持ち寄った案の中から、今の施設のロゴに決まったよね。あのときは施設のロゴということもあって、具体的に色んな機能が箱の中に入るっていう感じでコンセプトがもっと絞られていたと感じてた。CAFE、ART、STUDIOと、箱の中に色々なコンテンツを入れたときに、それらを統括できるロゴを求められていたという印象だった。だから、ロゴの形が可変してその中にコンテンツが入っていくような、造形に具体的な意味を持たせたものになったんだよね。

宮崎:そうそう。今回の新しいロゴの話をすると、施設としてのHAGISOロゴはそのまま残し、活動体としてのHAGISOのロゴを新たにお願いした。今回僕らが社名変更するときに一緒に考えていたことが2つあって、1つは「”最小文化施設”から”最小文化複合体”へ」という新しいキャッチコピー。それは「施設」としての「HAGISO」から「ネットワーク」としての「HAGISO」になるという思いを意味するものだね。もう1つは、これまでを振り返るとやっぱりチームが大事だなと思って、この機会に会社のみんなで話し合ってつくった「今ここにあるものの見方を変えるチーム」というチームの定義。その2つをセットにして田中くんにロゴの制作を相談したよね。この投げかけに対して、どんなことを考えてくれたの?

田中:まず考えたことは「社名の必然性」、チームの定義と社名をどう結びつけようかなというところ。そこを言葉で橋渡しすると自然とロゴのコンセプトになると思った。そこから考えていくと、当たり前だけど「HAGISO」は場所の名前で、元の「萩荘」も場所の名前。宮崎くんをはじめとしたメンバーはHAGISOを中心とした谷中一帯で活動をしてきたわけだけど、その場所にいると勝手に流れ込んでくる情報って人の価値観とか考え方に無意識な影響が大きくあると個人的に思っていて、同じ場所で今も一緒に仕事しているということは、自然と近い価値観が育まれて、無理のない関係性が築けているじゃないかなと思った。場所に馴染めなかった人たちは離れて、その場所に居続けたからこそ無意識に培われた近い価値観を持つ人たちがチームになっているのだから、場所とチームの名前が同じ「HAGISO」でもいいんだなと僕の中で腹落ちした。

そこから「じゃあロゴをどういうものにしようかな?」と制作が始まった。そうすると、まず場所を表す表現は大事だろうっていうことで、位置を特定する”枠”のイメージが思い浮かんで、社名の「HAGISO」と組み合わせて考えていった。すると、”枠”を表す”「」(かっこ)”が写真を撮ったりデッサンするときのフレーミングの手の形に見えてきて。その動作がその人の身体・手を通して風景を切り取る行為だと考えたら、HAGISOのメンバー各々の視点から「ものの見方を変える」っていうチームの定義にもスムーズにつながって。自分の身の丈で見える景色からものを考えてるってHAGISOらしいなと思ったし、考え方のスジが1本スーッと通ったので、自然と今のロゴに落ち着いたかな。

”良いロゴ”ってどんなものだろう?

宮崎:僕らが相談するときって「こういう事業をやろうと思ってるんだけど」っていう初期の段階、その事業の方向性が分からない状態のときから相談しているんだよね。というのも、田中くんは一旦自分で腹落ちするロジックを組み立ててくれるから、相談することで僕たちも考えがクリアになるんだよね。「HAGISO」はただ場所が「萩荘」だったという偶然に対して、「それをあえて自分たちのルーツにするっていうことだよね?」って田中くんに言われると、あらためてチーム全員が納得できる。そういうプロセスにとても助けられているなあ。hanareのロゴも田中くんに頼んだけど、そのときも「いくつかの”点”をつなげたネットワークからホテルという場が立ち上がる」っていう言葉をもらったり、事業の手応えを確かめられるんですよね。自分たちだけだと「受け入れてもらえるのかな?」「新しさってなんなんだろう?」って、わからなくなってきちゃうんですけど、客観視しつつ田中くんなりのロジックを考えてくれるので、クリアになる。

田中:造形だけを見て判断する人もいるから”良いロゴ”っていうのはよくわからないけれど、そのロゴを世に出す人自身が腹落ちすることが、ロゴを使ううえで重要なのかなと最近よく思うよ。ロゴを使う人が自信を持って使っていると、まわりからも「そういうものなんだ」って思っていくのかなって。デザイナーがつくったものをなんとなく使うんじゃなくて、使う側が「こういう意味が込められたロゴだ」と理解して使っているかどうか。形やデザインの雰囲気も大事なんだけど、どんなロゴなのかを言葉で伝えられることが一番大事なのかなって。

名もなき職人のように作家性を場所に委ねる

宮崎:僕たちの仕事を傍らで見てくれていて、HAGISOや谷中に対しての印象は変わった?

田中:そもそも僕は谷中に住んでいないし、ロゴをつくるときはそのお店のやりたいことと、そのロゴがどう機能していくかっていうことしか考えてないから、特に印象はないかな(笑)。でもプレゼンをしてロゴを選んでもらうとき、ここに住んでいる宮崎くんやポンちゃんたちのフィルターから、それなりに地域性を感じるときがあるかも。シャープすぎると「自分たちとは違う」って言われることがたまにあって、違う場所に根を下ろしたら違うフィルターになっていたのかなって。

宮崎:場所と自分たちとの関わりで言えば、ステレオタイプな「らしさ」に乗っかって谷中を消費することはしたくないなと思っているから、僕自身も谷中っていう前提に囚われないようにしたいと思ってる。あと建築家としてのスタンスの話をすると、普通は設計事務所の代表者がやりたいことや作風を強調するものだと思うけど、そういう作家性やアイデンティティよりも場所から生まれた偶然がつくり出すものの方が自然でいいなと、HAGISOを10年やってきて思った。いわゆる作家性やアイデンティティよりも、結果的に環境や関わる人も含めたその場所でしか生まれないものの方が興味があるし、そちらの方が非常に僕たちらしいなと。名もない職人と同じように、時代と場所と環境から自然とできるアウトプットの方がいいなと、場所に根ざすことで思いました。

田中:そういう仕事って、そこから何が出てくるかが自分たちでもわからないところが面白かったりするよね。思っても見なかった方向になったな、みたいな。

場所、人、デザイン‥‥店を取り巻く多様な要素

宮崎:田中くんも、世田谷線の上町という場所でもう1年半くらいかな? デザイナー業の傍でCAMELというカレー屋さんを始めたわけで、場所に楔を打ったわけだよね。デザイナーが場所を運営するというのはあまり前例の多くないことだと思うけど、やってみてどう?

田中:めちゃくちゃ難しいよ。デザインって本当に一部だなって痛感するね。これまで僕はデザインの提供側で、デザイン部分しか見てこなかったけれど、お店の運営はデザイン以外の目を向けないといけない要素がありすぎて。あと、どんな場所でやるかによって大事な部分の比重が変わってくるなとも感じていて、場所とコンセプトの相性がすごい大事だってことがわかってきた。上町はローカルな場所で、地域密着でやっていくしかないんだけれども、その割には広告的なお店をつくっちゃったなという気がしてる。味とか見た目も一定の条件はクリアしていないといけないと思うけど、ローカルな場所で大事なのって最終的には”人”で、誰が立っていてどういう人がやっているかっていう、”人”が醸し出す雰囲気の方が圧倒的にその場への影響があるんだなって。

宮崎:そもそもなんで飲食店にしたの?

田中:自分が飲食が好きだということもあるし、デザイナーとして飲食店の仕事をする機会がよくあったからというのがひとつ。でもデザインのスタートアップに関わるだけで、そのデザインがどう育って使われていくかには深くコミットできていなかったから、自分たちで検証できたらよりそのデザインに説得力が出るかなってデザイナーの相方と話していたこともきっかけだね。あとは、デザイナーってある程度時代に寄り添っていく仕事だと思うんですけど、今SNSも相まって移り変わりが早いじゃないですか。それがこの先もっと加速していく気がしていて、そういうなかで特にデザインは作為的に息の長いものをつくるのが難しいし、賞味期限の早さを感じていたのも理由かな。

宮崎:さっきのデザインの話にもつながるけど、息の長いデザインをつくるためには担い手、使う側の問題も大きいよね。

田中:だからあまり時代に振り回され続けないものってなったときに、老舗の喫茶店が今でもあり続けていることとかを考えると、「おいしい」っていう感覚は30年前とそれほど変わらないのかなって。受け入れられる期間がデザインより長いなって思った(笑)

宮崎:デザインか飲食かっていう問題だけではなくて、クライアントワークか自分の事業かということでもあるんじゃない?

田中:自分の事業でエコバッグやプロダクトをつくったりもしたけど、やっぱり商品となると消費が早い気がするんだよね。自分も新しいものに飛びついてしまうし、でも飽きるのも早いし。

手塩にかけることで店も商品も長く愛される?

宮崎:長く愛されるプロダクトもあるじゃない? 仲良くさせてもらっているTOKYO BIKEさんは、もう20年も自転車だけでやってる。”もの”だけが一人歩きすると消費されちゃうけど、さっきの話の「”人”が大事」って話と同じように、それを可愛がる”人”の手が介在すると、消費されるだけじゃない息の長いものになっていくと思う。”もの”でも”場所”でも同じなんじゃないかな。消費の波に流されるんじゃなくて、自分で手塩にかける手応えのあるものをやりたいっていうのは、僕もやっぱりHAGISOを始めたときの動機としてあった。建築も、自分の思いとは関係なくイメージとして消費される時代だから、手応えがないと誰のためにやっているのかわからなくなっちゃうから。

田中:時代に左右されずに手塩にかけて育てていけるものは、たしかに必要だなって思っていたかもしれない。そのモチベーションがずっと保てる何かっていうのはすごい大事だよね。僕はたしかにクライアントワークが多いから、そういうものへの渇望が出てきたのかも。

宮崎:でもその”人”の部分っていうのは本当に思い通りにならないしわからないじゃないですか。生々しい話、一番経費もかかるしね。ビジネスっていう観点でいえば、10年かけて「全然儲かってねえぞ!?」みたいな(笑)。でもきっと他の価値があるんだと思ってやってるよ。

田中:ビジネス的に回っていることもまだ1年半しかやっていない僕からすればすごいと思うんだけど(笑)、逆に良かったことってどんなこと?

宮崎:とにかく歴史をつくっていけてる感じはめちゃくちゃあって、そこにいろんな人が関わったという事実があるから、とにかくこの10年自体が宝物だね。懐古主義的になるわけではないけど、もし10年前に1人で設計事務所だけを構えていたら、今とはできることとの幅が圧倒的に違ったと思うんだよね。チームをつくったことで、飲食でアウトプットもできるし、まちづくりにも関われるし、建築に関わる以外の仕事ができるようになったのは面白いなって。環境と人とをかけ合わせて、誰にもマネできない状態をつくれつつあって、集合的なアイデンティティみたいなものができている感じがある。

”人”を管理しないことでおもしろいチームを作る

田中:10年前に思っていたものとは違うものになってる?

宮崎:そりゃあもう。最初は最小文化施設HAGISOが10年続けばいいなって思ってた。HAGISO以外やるつもりもなかったし、イメージもなかった。でもその2年後にhanareをやってるんだけど(笑)。思わぬ枝葉ができて展開していって。それはもう偶然を取り込んでいける場の持つ力だと思う。

田中:他に会社を続けるうえでモチベーションになっていることってある? まちづくりできてるなっていう感じ?

宮崎:今の最大のモチベーションは、まちづくりっていう感じではなくって、ものをつくることよりも組織として面白くなるってことかな。その集団だからこそできるアウトプットが積み重なっていくとすごい面白いなと。

田中:今のチームって自然と出来上がってきた感じがするんだけど、これまで”人”って選んできたの?

宮崎:当初のコアメンバーは選んできたけど、今のメンバーは僕が面接してない人もいるし、今は採用自体も任せちゃってる。”人”の部分はコントロールできないから、自然と出来たチームだと思う。最初はすごいコントロールしようとしていて、ポップのつくり方ひとつにしても目を光らせてやっていたけど、みんな仕事してても楽しそうじゃなかったし、すぐに限界が出てきて。それで少しぐらい妥協があっても働く人が楽しそうにしていることの方が大事だなって思って管理することを手放した。僕も答えを知っているわけじゃないし。そこから一緒につくっていくみたいな感じになったかな。

田中:どのタイミングで考え方が変わったの?

宮崎:カフェの初代店長が変わったタイミングくらいかな? 宗林寺の奥さんにポツリとこぼしたら、「来る者拒まず、去る者追わずでいいのよ」って言われて、すごい救われたんだよね。なるようになるかなと。なるようにならなかったらそれまでかなって(笑)

取材場所:HAGISO
構成・執筆:谷一志

PEOPLE

携わる人たち

宮崎 晃吉

HAGISO | 代表取締役

萩荘時代から併走してくれているタニーこと田中くんとじっくり対談。

田中 裕亮

ROWBOAT

コメント

RELATED
INFORMATION

関連情報